20.July 2005
いよいよ夏本番。昔は(と言う度に、いかにも年をくって来たなあと思い知らされる..)海、山へと繰り出して楽しんだのだが、今はもうそんな気は毛頭なくて、 出来るだけ体力を使わずに暑い夏を乗り切るかをひたすら考える。一時は、アウトドアの面白さにはまっていて、いろんなキャンピング道具も揃えたりしたのに・・・・。 今の夏の楽しみといえば、田舎から送ってもらう夏限定の食べ物くらいだ。オイラの生まれた新潟の美味しい物というと、何と言っても「茶豆」「十全なす」だ。
茶豆はここ数年くらいで東京でも知られてきたようだ。枝豆としては、その香り、甘味とも他の種類とは比べものにならないほどだ。もぎたての物をすぐに茹でないと、 その旨味は半減するらしい。
このところ毎年リクエストして送ってもらうのだが、農家の人がすでに茹でた物を送ってくれる。
食べ出すと止めれなくなるほどだ。 豆をさやから出して見ると、豆粒の薄皮が黒ずんでいるのが特徴で、いつも最初に食べる時、 ついその色具合を確かめて「おう、まぎれも無く茶豆だ」とニンマリとしてしまう。 今年も明後日「十全なす」と共に届く事になっている。
さて、その「十全なす」だが、これはまだあまり知られてはいないように思うのだが、どうなのだろう?小さめの卵型の丸い茄子で、皮も身も薄くて柔らかい。
漬け物にした物しか食べた事がないのだが、これが、ウマイ!
オイラとしては、軽く塩漬けにした物が大好きで、お新香としてご飯を食べると何杯でもおかわり出来るほど食が進む。最初知らずに食べた時は、
無意識に茄子の皮を噛み切る強さで噛んだのが、あれっ、というほど軽く噛み切れたその感触に驚いた。なんて柔らかい皮の茄なんだろうと。
もし昔からあったものだとしたら驚きだ。どう思い出しても、茄子が美味しかったなんていう記憶は無いから。それとも大人になって分かった味覚なのかなあ?今度聞いてみよう。今この茄子を食べる子供達には、美味しい物なのかどうかも。
時代とともに作物も改良され、いろいろな新しい味覚が登場して来る。
子供時代にあった味が、今はもう二度と味わえないものもたくさんある。
例えば、すっぱい林檎。子供の頃の想い出で、甘さより酸っぱさの方が強いなと思えたような林檎。
今はもうない。今は果実も大きく、香りも甘さも強く、値段もりっぱな物ばかり。
当然、需要と供給のバランスで生産が進んで行き、誰もそれを変える事など出来ないだろうが、もし酔狂で、例えば昔懐かしい、すっぱい林檎を作って欲しいと頼んだら、果たして実現可能なのだろうか?昔の「種」は今でもどこかにあるのだろうか?(外国ならあるように思うのだが?)
現に、茶豆にしても十全茄子にしても、これらが改良されて出て来た新種なら「お見事!」と絶賛したい。美味しい物を食べれる事の幸せに感謝しなければ!
美味しい物どころか、食べ物が足りなくなるなんて事がないように、しっかり考えなければ!
Can you image "food shortage" in this country ?
7.May 2005
大型連休も終わりに近づき、思い返してみれば、今年も何処にも遠出もせずにほとんど家で過ごした。ここ何年か恒例となった、PCや楽器類の掃除も無事に済ませ、ネットを見ていたら、 自転車のページに目が止まりそこから1時間以上もリンクを追いかけて見続けた。実は2ヵ月程前にママチャリをかりて、1キロ位先のスーパーに買い物をしに行ったのだが、たかがそんな距離の所の往復だけで、腿がひどく疲れ、なんて筋力が落ちてるのだろうと愕然とした記憶があった。 と同時に独特な気持良さもあった。おそらくその記憶のせいで自転車が気になったのだろう。決して、あのJRの悲惨な大事故、大事件のせいで電車に乗るのが恐ろしくなって自転車に、という訳ではない。
まあその事はさておいて、 そのネットを見終わった時点ではもう欲しくてたまらなくなっていた。ネットショップでの購入も考えたが、 自転車といっても何せ種類が多く、写真だけでは物足りなく、送られて来る3、4日でさえ待てない気分になっていた。
こうなるともういてもたってもいられず、今日中に手にいれたいと、早速一番近くのサイクルショップを捜し当て、連休中の5日なので電話で営業しているか確かめた後、すぐに出向いて行った。
そのショップはかなり広い店舗で、ディスプレイしてる品も多く、ここなら今日中に手に入れられると確信出来た。ネットでいろいろ見ていたのである程度の事は調べたつもりだったのだが、やはり実物を目の前にすると、
その存在感は圧倒的だ!いろんな物に目移りがして、もう何がいいのか訳が分からない。ただ条件として決めていたのは、
変速ギアがついてる事と、いわゆる「ママチャリ」ではない事。
次から次ぎへと見て廻っていると、あっという間に30分以上も過ぎていた。
見ているうちに、自転車という、そのシンプルなマシーンが素晴らしく美しい物に見えた。
その構造も、2つの車輪とそれを繋ぐフレーム、チェーン、ペダル、ほぼこれだけなのだ。なんて、「アナログ」なのだろう!
その上、動力は人間。電気もガスも油もいらない。
今の環境汚染の現実から考えれば、これほど「地球にやさしい」乗り物はない。
店内のほとんどの物を十分見た後、店員さんに来てもらった。こちらとしては知識がないので、購入にあたっていろいろ聞きたい事だらけなのだと伝えると、丁寧に教えてくれた。
オイラの主な用途は普段の街乗りで、たまには少しの遠乗りも出来たらいい、と伝えたら、それなら種類としては『クロスバイク』がいいのではと勧めてくれ、それは、山や凸凹道でもガンガン走って遊べる
『マウンテンバイク』と、スピードを楽しむための『ロードレーサー』のそれぞれの要素を半分づつ取り入れたバイクなのだという事だ。取り扱いもそれらよりは簡単だという。
話を聞き納得すると彼はオイラの身長と予算の範囲を確かめ、1台の自転車を勧めてくれた。
それは、オイラも先に見てた時に候補としていた何台かのうちのひとつだったので、何の躊躇もなく決めた。物を買ってこんなに嬉しい気持になったのは、本当に久し振りで、自分でも驚いた。
これは何なのだろうと考えたくらい興奮していた。そうだ、これは子供の頃の想いだ!
オイラ今、子供になってる!自転車で!
実は昔に自転車は2台買った事があり、その2台とも盗難されている。その他に50ccの原付きも。
その頃はほとんどの移動は車と250ccのオートバイで、めったにしか自転車は乗らなかった。それでも盗まれたと知った時の腹立たしさと淋しさは忘れない。50ccを盗まれた時など笑ってしまう程だった。いつも止めておいた場所にいくとバイクが無く、地面にナンバープレートが落ちていた。
何だろうと見ているうちに、どうやらそれがオイラのバイクのナンバープレートだった事に気付き呆気にとられた。何もその場でわざわざプレートだけ外して捨てて行く事もないと思うのだが‥‥‥。
今は車もバイクも持たなくなり、移動手段は電車がほとんどで、都内ではその方が快適だと感じている。今度はそれに自転車が加わった。
自転車を買ったその場から早速そのまま乗って家まで走った。 最高!気持良い!
昔オートバイで飛ばし風を感じた時もそれは気持良くて爽快だったが、自転車のそれはまた別で、スローな風、とでも言えるのか知れないが、今のオイラにはぴったしな感じだ。
そうだ、体力もつけて、近いうちに遠乗りも計画しよう!
I've got my kicks with bike ! The wind makes me feel soooo good !
17.Jan.2005
昨年末から、体調を崩し、正月過ぎまでの間に3回も病院に行くはめになった。38度以上の熱が出て咳も止まらない。医者の薬で2日間位で治まるのだが、またすぐ熱が出る。今度はひどい下痢が続く。1週間前程にやっと治ったのだが、その間にずいぶんと体力が落ちた気がする。
いつも、新年に今年の抱負をたてるのだが、今回は最初から出鼻をくじかれた。
それでも正月の3日間は熱が下がっていたので、例年の様に親戚の所にお節料理をごちそうになりに出かける事は出来た。食い意地がはっているのだろう。
横須賀に家を新築した従姉妹の所でごちそうになった、かわはぎの刺身がめずらしかった。
地元の人はその刺身に、はらわたをすりまぶせて食べるらしい。コリコリとした身と共にワタの油が口の中にひろがる。美味しいと思いつい食べ過ぎたらしく、次の日は胃がもたれ、また熱まで出て結局その後また寝込むはめになったのだが・・・
昨年の新潟中越地震や新年のスマトラ沖地震の津波等自然災害の多さに恐れをなす。
学者は声を揃えて、今後も災害は増え続けると言う。便利な生活を維持する為には自然環境を破壊するしかないのだろうか? 巨大企業のお偉方はどう考えているのだろうか?
政治家は?
災害は、自分が被害を受けない限り、どこか他人事だと思うのだろう。ましてオイラのように東京で暮らしていて大地震などにあえば、生き延びれるのは運だけなような気がする。
その時のためにいろんな風に備えろと言われても、何をどう備えるのか解らない。
バッグに水や乾パン等詰め込んで用意しておく事が本当に有効なのだろうか?いざという時の地域の情報にしても指定緊急避難場所を知ってる位でその他は何も知らない。
その時はきっと、運が良く、タフで知恵のある者が生き延びれるのだろう。
今年もまた何処かで災害が起きるのだろうが、それがこの東京ではない保証など何も無い。
Good luck !
14.Sep.2004
今年の夏は、オリンピックのテレビ観戦で終わったような気がする。日本選手達の活躍も素晴らしく、結果は何と史上最高のメダル獲得数だった。
個人的には、話題だった、長島ジャパンの野球が面白かった。思いもよらないオーストラリアに負け、金メダル獲得はならなかったが、それでも十分楽しませてもらった。 普段の日本でのリーグ戦では決して見られないような、真剣なプレーに、思わず拍手してしまった場面が多くあって感動ものだった。一流のプロ選手達が、 日の丸を背負いチームプレーに徹する姿は、壮絶で、またある意味では滑稽でもあった。ものすごく高いレベルの「選抜高校野球」を見てるみたいで。
国家の威信をかけて戦う時のプレッシャーとは、こんなにすごい物なのかと、何となくわかるような気がした。 他のスポーツの選手達も同じなのだろうが、 普段は野球ほど見れる機会がなく比較できようもなかったが、今回の野球は、選手全員、いつもよく見て知っているので、その表情の違いも手に取るようにわかった。 なかでも、長島監督代理の中畑さんの苦労は察するものがあった。
準決勝に負けた直後の映像で、帰りのバスの中で、敗戦のショックに呆然としている選手達に向かい、「君たち!まだ終わったわけじゃないぞ。もう1試合あるからな。 最後までベストを尽くそう!」と声をかける姿を見た時、なぜか切ない感じがした。
人間のやる事だからメンタルな部分が大きく左右する事は、どの分野でも同じだろう。
あの一言が銅メダルを確実にしたと思った。 選手達は勿論だが、今回は特に「中畑さん、お疲れさまでした」と言いたい。 国民の期待をうけて物事にのぞむなんて事は、ごく限られた人しか味わえない体験だろう。
その期待に見事答えられる人、期待を裏切る結果になる人。必ずどちらかに別れる。特に勝ち負けのはっきりしたスポーツでは明確に結果がでる。(一部の競技で審査員の採点で決める種目は毎回問題が起き何とかならないものかと思うのだが..まあそれは別として)
今回でいえば、金メダルを期待され、見事答えた人、彼等はやはり素晴らしく、誰もがその栄誉を讃えマスコミも絶賛し紹介する。
しかし実はオイラが本当に聞きたいのは、その期待に答えられなかった人達の心情だ。
酷かもしれないが、ぜひ語って欲しいものだ。「期待を裏切った」などと考えずに・・・
そもそも期待する側とは、いつでも勝手でわがままなものなのだから。
最後の男子マラソンでのアクシデントもいろんな事を考えさせられた。が、結果的に銅メダルでも満足だし、レース妨害のアイルランド男に恨みもないと言ったあのブラジル選手に救われた。
あの笑顔を見れば誰もがその言葉に嘘はないとわかる、素晴らしい選手だった。
薬物の力をかりてでも金メダルにこだわる選手には、彼はどう見えるのだろう? それも是非聞いてみたい事の一つだ。それこそ今のオリンピックそのものの本質、
実体が見えて来て面白いと思うのだが。 なんだかんだ言っても、やはりスポーツはドラマティックで面白い!
What do you expect them to do for you?
7.July 2004
大好きだった、アメリカのスターが二人逝った。黒人シンガーの、レイ チャールスとアクターの、マーロン ブランド。
レイ チャールスの歌は、おそらく発売された全曲聴いたと思うし、マーロン ブランドの公開された映画はやはり全部観たつもりだ。 それほど好きだった。
今でも鮮明に想い出すのは、歌を聴き泣いた、初めての歌手がレイだった。子供の時深夜ラジオから流れて来た " I can't stop loving you " がその曲だった。子供ながら、その初めて聴くサウンドに鳥肌が起ち涙が溢れて来たのがショックだった。歌の内容も英語なので勿論解らない。 のに、泣けた。人の心を揺さぶる、まさしく「魂の歌、soul music 」そのものだった。
最後に彼の歌を直に聴いたのは、ニューヨークの [Blue Note] でだ。もう12、3年も前になる。今想えば、その時彼は60才位だったのだが、その歌の存在感は60才のものとは到底思えない程だった。手を延ばせば触れる位近くで観ていたが、彼の歌う時の唾がかかって欲しいとさえ思った事も覚えている。 歌の大巨人も逝ってしまった・・・・・
少なくとも、彼と同じ時代を共有出来た事だけでも幸せに思うし、感謝する。
Thanks,the King of soul !
マーロン ブランドの名前を知ったのは、ビートルズ全盛の頃、ジョン レノンが「好きな映画俳優はマーロン ブランド」と書いていたのを読んでだった。それまでは全く知らなかったが、ジョンがそう言うならこれは要チェックと、すぐ調べまわった。
確か最初に観たのは「波止場」だった。それまでのアメリカ映画の主演男優のイメージで、ハンサムで礼儀正しく優しい等とは懸け離れた、もっと、マッチョなその存在感に圧倒された。
今で言う、「クール」そのものだった。太い首と分厚い胸板、怒りと悲しみが入り混じったような何とも言えぬまなざし。それまでの二枚目俳優というオイラの観念をくつがえされ、これもまた、カルチャーショックだった。 間違い無くアメリカ映画の革命児だった。
後に「ゴッド ファーザー」で、当時若手の、ロバート デニーロ、アル パチーノ等が熱演する、あの凄まじいエネルギーは、彼の存在の影響があるのだろう。それにしてもあれ程までに、全役者が活き活きとして輝く「ゴッド ファーザー」は名作中の名作に間違い無い!
自分のなかで、映画の感覚を変えられたのは彼の存在だった。アナーキー、という言葉がぴったしな俳優だったと思う。 オイラのなかで、ものすごく影響を与えられた人達がまた去っていった。
否応無しに時の流れを感じさせられる。時間は確実にいろんなものを変えていく。
いつの時代でも、必ず新しいカリスマが生まれ、時代に影響をおよぼす。
だが、自分ではもう新しいカリスマに熱狂する事がなくなったのがわかる。
老いたのだろう。
でも決して淋しくはない。ただ時の流れにうまく流されたいと祈るだけだ。
20.April 2004
イラクでの人質が、無事解放され本当に良かった。が、日本に帰って来た時の悲痛な顔が印象的で、見るのがつらかった。
とんでもない悪事を働いたかのように非難する人達が多いのに驚いた、というか、またか、と思わされもした。 善意で起こした行動がいつのまにか、まわりには悪く言われる事ほど、 情けなくなる事はない。
危険な状況を知っていても、その中に入っていかなければと思う気高い志しを、ただのバカ扱いする人は、果たして本当に利口なのか? 損得勘定だけで自衛隊を派遣する政府が本当に利口なのだろうか?
解放された人達とその家族が、ひたすら「大変なご迷惑をかけ・・」とあやまり続けなければならない国民性って何なの? 毅然とした態度でいたら、殺されてしまうと思う程のプレッシャーを感じたのだろうか? 彼等をつるしあげて気持がいい人達の喜び、って、無気味な感じだ。 政府の高官が今回かかった金の事をしきりに言っていた。さも自分は国民の血税の使い方を大切に考えているのだ、と言いたげに。税金の無駄使いは大得意なくせに! オイラは今回の彼等の為に、「迷惑」をこうむった覚えは無い。
心配はした。助かった時は喜んだ。彼等に対し憎しみなど何もない。
街のインタビューで、若い女性が、こんなに皆に迷惑をかけて、何考えているのかと彼等を責めていたが、彼女とその「皆な」は何がそんなに困らされたのか聞きたかった。
今回動きまわった政府関係の人達にしても、それは仕事だろう。やっかいな仕事をさせやがって、と言うのは、愚痴だろう。 イラクの悲惨な状況は、「ブッシュの戦争」のせいだと思う。
ひどい犠牲がでるのは、ほとんどが有色人種の国だ。
アルジャジーラの放送で、白人アメリカ兵が何か抗議してるイラク女性市民を、
" Shut up ! " 「だまれ!」 と銃先でこずいていた場面を見た時、そこに人種差別がはっきり出ていた。あの女性が白人だったら、 間違い無くそんな事はしなかったはずだ。
アングロサクソンからみれば、オイラ達も完全な差別の対象だから、なんとも嫌な気分にさせられる。ましてオイラ、在米中に何度か差別される恐さを実際に味わっているから敏感だ。 ブッシュの言う「正義」など実際にはどれだけの人が認めるのか?
「ブッシュの正義」は一般市民を殺しても『テロ』ではないのだ。訳がわからない。
後に解放された人質の二人は、勇気のある人達だと思った。その中のジャーナリストは帰国後TVに出て話し続けている。複雑な思いのなかで、それでもしっかりと言葉を選び自分の想いを 伝えようとしている。彼等の想いに賛同し、自衛隊撤退の方向に民意が傾く事は、政府にとって一番忌わしい事だろう。何か彼の身が心配になるのはオイラの思い過ごしだろうか? それこそ、アルジャジーラに雇ってもらい報道の仕事を続ける、なんてどうだろう? いずれにしても彼がこの先どう活動するか注目している。
平和という言葉が、遠くて、薄い感じがしている。
31.Mar. 2004
桜が満開 と聞き、近くの公園に見に行った。平日の昼過ぎだからなのか、誰もいなく、独りで見ていた。2、30m 程続く、桜のトンネルの様な所のなかを歩いていると、薄ピンクの雲の中に居るように感じて、ファンタジックだった。 これが年中あるとなると、何も感じなくなるのだろうが、何せ年に一度、それも、あっと言う間に散ってしまう事を知っているからこそ、つい見にいってしまう。
何とハデで存在感のある木なのだろう。大気汚染のせいで、もう桜は見れません、なんて事のないようにしなければ。
夜はメージャーリーグの東京での開幕戦をテレビ観戦した。
期待通り、オイラのヒーロー、松井がやってくれた! 感動、感動、カ・ン・ド・ウ・!
ホームランを打ち、ダッグアウトに戻っての顔が良かった! チョウ、クーーール!
自信に満ちて、誇り高く、球場の大歓声を冷静に受け止め、この瞬間を自分の記憶のなかに、しっかりとインプットしている様に見えた。こんな顔をした日本人の若者、これこそ日本の宝だろう!
巨人を止め、アメリカに渡る時、彼を非国民呼ばわりした連中もいたらしいが、なんて閉鎖的で自分勝手な考え方だろう。彼はそんなせまい枠で閉じ込められるような器じゃない事がわかっただろう。
日本の財産から世界の財産にとなっていく事を信じている。
松井選手を讃える曲でも書いてみようか。
You are really out of sight ! !
17.Mar.2004
あの、長島さんが、倒れた! ニュース速報で聞いた時は、気になって、続報が入り続ける度に、テレビに釘付けになった。子供の頃、オイラのなかで、ヒーローといえば、長島、ビートルズ、カシアス・クレイ(後に改名したムハメッド・アリ)だった。特に長島は、それらのなかでは一番はやく出て来たヒーローで、 以来何十年も見続けて来たので、このニュースは大ショックだった。
70才近くなっても、今までずーっと日本中の注目を集める、スーパーカリスマ。
凡人のオイラなどには知りようのないストレスの重さも、当然あったのだろう。
数字のなかで好きなのが「3」になったのも、長島の背番号のせいだった。
想えば、オイラのなかのヒーローのうち、ジョン・レノンは暗殺され、ムハメッド・アリは病に侵され、と、それぞれニュースで知った時のショックは、人生とは‥、と考えさせられる程大きかった。 しかし、ヒーロー達は今でも心のなかで、しっかりと存在し続けている。彼等への憧れと尊敬は何があっても消えない。だからこそ、ヒーローなのだ。
長島さんの全日本の監督としての勇姿も、それは見たいけれど、命を代償にするまでは望まない。 しっかりと回復させて、また元気な姿を見せてもらえれば、 それだけで十分、心を明るくさせてもらえるのだから。
一日も早い回復を!!!
Get over ! Mr.Hero ! Make me feel good just like you used to do !
17.Feb.2004
狂牛病、鳥インフルエンザ、とやっかいな騒ぎが続く。人間に、そろそろ肉食を止めろという警告なのかと大袈裟に考えるのは、オイラだけかな? でもやはり肉は美味しい。菜食だけなんて考えられない。
口の中で広がる肉汁の味に幸せを感じる一瞬は、生きてる実感を与えてくれる。
動物性タンパク質は、簡単に喜びを与えてくれる。 この先、人類が進化して行くとして、 はたして肉を喰らう事を止める時ってあるのかなあ?
牛肉と決別し、とり肉に別れを告げ、豚、羊、馬、鯨その他に三行半をつきつける時。
その時って、何食ってんだろう・・・・
人間の幸福感も変わるのだろうか? 価値観が変われば、幸福感も変わるだろうから、やはり変わっていくのだろう。
せめてオイラが生きてるうちは、美味しく肉を食べさせてくれー!
8.Feb.2004
免許証の更新の知らせが来た。もうすぐまた誕生日か、と思っていたら、そうだ確か車の免許書き換えの知らせが来てた
なと思い出した。もう車を持つのを止めてから何年も経つが、やはり免許証は必要だ。
特に、「ID」のひとつとしても重要だ。
都内を移動するのには、電車、地下鉄が便利で、渋滞のイライラもなく、時間も計算しやすい。どうしても必要な時はレンタルすればいいし、何より車を維持しての年間の経費を考えると、車は今の生活ではムダだ。
確かに、深夜や雨の日や荷物がある時等、車は便利だ。デートの時も、何かと?、都合がいいだろう。しかし、車を止めてここ何年も、また持とうとも思わない。今のオイラには必需品でないからだ。
以前は、もう死んでしまったが、二匹の中型犬を飼っていた時期があり、車は必需品だった。彼等を連れて海や山への遠出も楽しかったし、運転する事も苦ではなかった。
今はというと、まず、できるだけ運転したくない。
今は深夜に動き回る生活もしていないし、荷物があればタクシーを使えばいい。事故の心配もしなくてすむ。やはりどう考えても必要じゃない。
車での想い出はいくつかあるが、NYに住んでいた時の事が忘れられない。
アメリカで免許をとって、最初に車を買った時の事だ。友人と2人で買ったのだが、値段は、150ドル。当時1ドルが140円位だったので、日本でいえば約2万円程。
2ドアの古いビュウイックなのだが、なんとドアが片方づつ色が違う。いかにも素人が塗りましたという塗装で笑ってしまう程。
当時NYの街中で見かけた車は様々で、ロールスロイス、フェラーリ、ストレッチリモ(2台分くっつけた様に長いリムジン)等の高級車から、それこそドアが片方とれたままのオンボロ車まで多種多用だった。
彼等の車に関する考えは日本人のそれとかなり違っている。
もし彼等が日本で走っている車を見たら、なんて綺麗な車ばかりだと驚くだろう。
そんな街だったから、このオンボロビュウイックに乗るのは、なんていう事はなかった。
日本でなら、まず恥ずかしい気がしてとても乗れなかっただろう。
だが、これが後でとんでもない災いを呼ぶ事になるとは思いもしなかった。
何が起きたかを話すと「small talk]どころか[huge talk] になってしまうのでここでは詳細は省略するが、結果的に、オイラは死ぬ思いを、一緒に買った相棒はなんと、 逮捕され、NYPD (ニューヨーク市警察)に留置される事になる。
(この話はいずれ、別コーナーの、" 49 St "で詳しく書くつもり)
これに懲りて、その後NYで車を持つ事はなかった。
その後は働いていた会社のボスのベンツを、事ある度に借りて乗っていた。ボスは老人で自分では運転しないし、車の管理も部下の私達まかせだったので好都合だった。 ただ、ベンツだと少しの間でも路上駐車して離れられないので
(日本では想像できない程危険で、何をされているかわからない)、その都度セキュリティーのしっかりした駐車場に入れなければならなかった。
NYの道路事情は、道幅は広いのだが、舗装はひどく、特にマンハッタンの中心部は凸凹だらけで、車の天井に頭をぶつけそうになる程揺れる。だがほとんどが一方通行なので、慣れるととても便利だ。
やはりNY でも移動手段は地下鉄が多かった。24時間動いているのだが、深夜はさけていた。(やはり危険)
日本に帰って来て最初に運転した時、車道1レーンの幅が、アメリカの歩道よりも狭いのに驚いた記憶がある。 あー、やはり今もできるだけ都内では運転はしたくない。
でも更新には早いうちに行って来よう!またへんてこな顔写真で出来て来るのだろうな。
Drive safe, drive your life safety too !
23.Jan.2004
2004年、が始まった。すぐ近くの神社に初詣でに行き、おみくじを引いたら「凶」。
その時は気にもせず、木の枝に括りつけて帰って来た。
その数日後から微熱が出始めて、この2週程も治りきらないで続いている。
医者に行って診てもらう程でもないと、ほっておいているが、最近になって、あの「凶」がチラリと頭をかすめる。今年は良くない年になるのかな、などと妙に弱気になったりしている自分が情けない。
正月休みの間に、書きかけの数曲を完成させるという計画も、結局手つかずでそのまま。
自己管理の悪さを何とかせねば!
今年はどうなるのかな、などと思い悩むより、今年をどう生きるか、をしっかりと考えなきゃ。
そうだ、まずは早めに眠るようにしよう!(因みに今は午前3:30だが、全く眠くない・・・・) すっかり衰えた体力を改善し、気力を充実させよう!
これぞ、基本中の基本だ!
あれっ、去年の新年の抱負も同じだったような‥‥‥。
8.Dec.2003
あっ、と言う間に、12月。ますます時の流れが速くなって来ている様に思えるのは、オイラが年をとったせいだけなのだろうか・・・?
またクリスマスが近づいて来る。が、また今年も何の楽しそうな予定も無い。が、差程淋しくもない。 イラクに駐留しているクリスチャンの兵隊達は、その日に何を思うのだろう?家族や恋人の元に帰りたいだろうに・・・・
昔は確か、クリスマス休戦という、キリスト教信者ではない我々には訳の分からないものもあったが、テロリストがイスラム教徒ではそれもあるはずもない。
世界がどんどんと、うさん臭い方に向かっている。
毎日伝えられるイラクでの被害者のニュースは、本当に気持を暗くさせる。
良きリーダーであるべきアメリカが、今は暴君の様にしか見えない。
正義は我にありと言うブッシュには、イラクで死んでいく兵士達も、ただの"number"- 即ち、ただの「数」に過ぎないのだろう。
政治家達のいろいろな思惑で、いろいろな人間達が死んでいく。
政治家の皆様、よいクリスマスを!
音楽と平和、というと何か共通のイメージがあるような気がしていたが、911の後、あるアメリカのカントリー歌手が、戦争を煽りたてるような歌を唄い、
注目を集めていたのを聴き、直感的に、
ムシズが走った。嫌な響きの音楽だった。
ただの、ウケねらいで極度に打算的、保守的で、人種差別の匂いもぷんぷんした。
確かに人々を煽動するのに音楽の力は圧倒的な物がある。軍歌等典型だろう。
音楽は人を癒し、また殺しもするのだ。
オイラ、こんな殺伐とした時でこそ、甘くてロマンティックな音楽をやっていたいし、
聴いていたい。
なんか、カターイ話しになっちゃった。 それにしてもクリスマスまであと2週間。
今年はどんなんかなぁ〜〜〜?
So far,I have no plan for Christmas. How about you,guys?
2.Nov.2003
早速、昨日の続き。監督が ポール オースターだと思い込んでいた「smoke」は、実はウェィン ワンが監督で、オースターは脚本だった。ネットでオースターのページを見てわかった。
3本の映画で、それぞれ使われていた音楽も特徴的だった。
スパイク リーの「summer of Sam」はポップなブラックミュージック、アレンの「Manhattan」ではほとんどがガーシュイン、ワンの「smoke」ではラストシーンで流れるカバーバージョンの "Smoke gets in your eyes"が妙に耳に残り面白かった。
よく知っている聴きなれた曲も映画のシーンのなかで流れて来ると、また新しく響いてくるのに驚く事がある。
よくある、森や泉等の自然の映像のバックで流れて来て、いかにも癒されましょう、などと言うようなものではない。オイラが感じるのは、その映画のなかで分かる登場者達の、切なさや悲しみ、
喜びや希望、怒りや憎しみ等々の人間の感情が、バックで流れている音楽と重なり、より深く理解出来る、そんな時だ。
それまではただ乱暴なサウンドだと思っていた曲が、ある映画のなかで聴いた時とても悲しい曲に聴こえたり、とても綺麗なメロディの曲が、
絶望的なシーンにぴったりで恐くなったり、見事に、今までの曲に対する先入観が変えられてしまう。
一曲が、聴く人により、様々な色合いに変わるのだ。
「smoke」のラストシーンは感動ものだ。
タバコ屋の主人役の、ハーヴェイ カイテル(昔から大好きなアクター!)が、身寄のない盲目の老婆に対して、何十年ぶりで帰って来た彼女の孫になりきり、
二人でクリスマスを祝うという、
クリスマスストーリーの場面。だがさすがオースターでただの、お涙ちょうだい、では終わらずシャレたおちがあるのだが・・・・
それはさておいて、エンディングの白黒でアップになる画像が最高だ。
カイテルと盲目の老婆がぴったりと頬をくっつけている画像。
その表情というより、二人のそれぞれ顔に刻まれた皺が何とも言えず美しく見えた。
二人の皺が、しっかりとした線でその絵の絶妙なバランスをつくっていた。
あの写真のコピーが欲しい!! そしてそこに名曲 "smoke in your eyes" が流れて来る。 美声のプラターズの『煙りが目にしみる』ではなく、
悪声?の『煙りが目にしみる』だ。サウンドもロマンティックとはほど遠く、粗雑に響く。が、これが実にイイのだ!この映画にはぴったりなのだ!
これぞニューヨーク映画のイキなところと、一人でニンマリとして嬉しくなる。ぞくぞくして鳥肌ものだ。
映画と音楽。まるで永遠の恋人の関係の様に思える。
1.Nov.2003
ここ数日の間に、何と偶然にも3本の大好きなニューヨークが舞台の映画を観た。監督が、スパイク リー、ウッディー アレン、ポール オースター。
衛星放送でやっていたのだ!ラッキー!♪♂♀〜|<>*
この3人とも、大ファンの監督達で、共通してセリフが実にニューヨーク的で、ウィット、ユーモアに富み、もうたまらない。
それぞれどの作品も、派手な撃ち合いも、複雑な謎解きも、SFXも出て来ない。
舞台もNYから一歩も出ず、ただ登場人物達の心の動きを写し出す。
リーは、連続殺人で恐怖に怯えるニューヨークでのイタリア人達にスポットをあてて描く。アレンは中年の放送作家の恋愛感をユダヤ人独特の感性で描く。
オースターはブルックリンの小さなたばこ店の主人と客達に起こる日常のなかでやはりそれぞれの人生を描き出す。
これらのどこにも、宇宙からのエイリアンも、スーパーヒーローもいっさい出ては来ないし、手に汗にぎるようなシーンもない。 登場人物はNYのどこにでもいるごく普通の人間達で、街で出会っても何の注意も払わずにすれ違うだろう人々だ。
が、ニューヨークで生きているという共通点だけで、オイラには近所の顔見知りの人達の出来事を垣間見てる様に思えてきて、引きずり込まれてしまうのだ。
それぞれの登場人物達に、ただならぬ親近感を覚えてしまい、「あんた達の話、俺にも聞かせてくれよ、今すぐそこに行くからさあ」とでも、 画面に向かって言いたくなるような錯覚さえ覚えるのだ。
これはNYの街が持つ独特の雰囲気のせいなのだろう。
誰かが言っていた。NYは最高の女であり、また BITCH でもある、と。
アレンのセリフのなかで、中年作家の恋人の17才の女の娘が彼に向かい、彼の前妻への思いを確かめるのに、" You still hang up on her?"と言っていた。シーンの様子では、 この言い方は若い連中独特の言い方らしく、オジサンには耳なれないらしいのだが、要するに「あなた、まだ前妻をあきらめきれないの?」という意味なのだ。英語でイメージすると、 まだぶらさがっている、まだ引っ掛かっている、という感じなのだと思うが、オイラもこれをまねて言うとすると、
" I wanna hang up on NY " ってなところなのだろう。
この続きはまだ書きたいのだが、今日はここまで。 To be continued
28.Oct.2003
野球三昧のここ10日間だったが、ヤンキースは負け、阪神もまた日本一にはなれなくて、オイラの応援してたチームは共に優勝は出来なく終わった。でも今年は野球がとても面白い年だった。
何よりも、松井の活躍は爽快で、泣きたくなる程嬉しかった!
今、一番大好きな日本人男性だ。感動を与えてくれる男。間違いなく、ヒーロー。
NYヤンキースでレギュラーを張り、好成績をあげる男。これがどれ程凄い事か、想像しただけでぞくぞくする。口うるさいニューヨーカー達にも絶賛されて、 本当に凄い奴だ。彼の活躍は日本人の誇り、数少ない「誇れるもの」だ。
それにしても、アメリカ人の「マツーイ」という発音が気になってしょうがない。
ニックネームも「ガズィーラ」(ゴジラ)なのだが、もうそろそろ何かイイ名前を考えてくれてもいいのではと思う。洒落っ気の多いセンスの良さで、 ぜひ新しい呼び方を決めて欲しい。個人的には「ガズィーラ」を縮めて「ガズィー」なんてと思うのだが、ちょいとカワイ過ぎるかも(笑)
ワールドシリーズの最終戦で、ホームのヤンキースタジアムで負け、虚ろな表情で相手チームの歓喜する姿を見つめる地元ファン。
場内に流れる、フランク シナトラの歌う「New York,New York」をバックに選手達やファンがスタジアムを去って行く。帽子を深くかぶり直して・・・。
TV画面から深まり行く秋のニューヨークが感じられた。
NYに5年住んでいたが、実はヤンキースタジアムで観戦した事がなかった。
一時期、このスタジアムから歩いて5、6分の所にあったブロンクスの黒人教会に毎日曜日通っていた事がある。その時、最寄りの地下鉄の駅がこのスタジアムの駅だったので、
駅ホーム(地下鉄といってもこの駅は地上に出ている)から上段の観客席がすぐそこに見えていたのを良く覚えている。
もしあの頃松井がプレイしていたら、きっと通いつめていただろう。
今NYで住んでいる日本人達は松井が誇りに思えるだろう。オイラの働いていたジャパニーズレストランに、松井は食事しに行く事があるのだろうか?
皆な心を込めたサービスをするだろう。リスペクトできる男として。
松井選手、素晴らしい!そして感動をありがとう!!
来シーズンはNYで「ガズィー」を見た〜い!興奮した〜い!
I really love this guy !
5.May.2003
イラク戦争、SARS、と物騒な世界情勢のなかで、今年のGWは例年よりも明らかに、静かに始り、そして終わった。
オイラも3連休はのんびりと過ごした。とは言っても、その間に、部屋の大掃除、PCと周辺機材をバラシ、手入れをしてまた組み直す等、結構な作業もやってのけた。
特に音楽用の機材に関しては、複雑に繋がっているケーブル類を全部引っこ抜く時のスリルはたまらない!
毎回、もう二度と今と同じ様に、うまく繋ぎ合わす事ができないのではという不安が襲うからだ。
その不安と戦いながらついには、「エイッ!」と覚悟を決めて一気に引き抜く。
長年使っているミキサーでさえ、いまだにその全機能を把握していないように思う。
それでも、コンピューターで音楽作業をするようになってからは、それ以前と比べれば、システムは圧倒的にコンパクトになった。
機材が占めるスペースは以前よりはるかに少なくてすむ。この時ばかりは、時代が進歩したという感じがする。 今回もなんとか無事に元通りに組み立て、
それぞれ順調に作動している。 うーむ、なかなか気持がイイ。
買い物をしに池袋に出た。スゴイ人出でスイスイと歩けない。
用が終わり、お茶を飲もうと店に入ると満席。次の店も。その次も。
独りじゃ、とても順番を待つ気にはなれなくて、自販機ですまし、とっとと家に帰った。
こんな不景気でもやはり、GWか・・・。
How did you spend your precious time in GW ?
1.Dec.2002
今年も、あっという間に12月。 時間の経つのが、何ともはやーい!またまた、クリスマス、正月へとなだれ込む。今回は淋しい事に、なんも予定がない。クリスマスに、はしゃぐ元気が、どうもなくなったようだ。
音楽教室としての年末イベントも、なにせ、起ち上げたばかりの教室で、今年は間に合わなかった。 そのぶん、近い内に何か面白い事を考えよう。
皆さんには、是非、楽しいクリスマスを!
I wish you a merry Chistmas ! !
14 .Sep.2002
911 NY テロからもう1年が経った。5年間も暮らしていた街だ。今は無きツインタワーだが、勿論、何回もその中に居た事がある。何階だったかもう忘れたが、 日本人のお医者さんの所に診療に通った。ハドソン川を渡り、ニュージャージーから見るツインタワーが、特に好きだった。
アメリカ経済の象徴というような見方ではなく、ただ、マンハッタン島の端にそびえ立つ、双児の様に、殊更に目立つ塔が美しく見えただけだった。
多くの犠牲者と共に消え去った今、一周忌を迎え、また新たな思いが駆け巡る。
「平和」なんて幻想なのだろうかと、虚しく思えたりもするが、決してそうでない事を信じたい。